認知症末期患者に対する人工的な栄養・水分補給

昨年度のお仕事、東大人文社会系研究科GCOEプログラム「死生学の展開と組織化」会田薫子先生のお手伝いです。調査票の回収以降、入力、変数定義、集計、報告書やパワポのドラフト作成、そのあたりの作業のお手伝いでした。この報告書は関係者のみの配布で、今後丁寧に分析が加えれて論文化などされる予定です。

認知症末期の人工栄養の問題、問題が個人、家族、社会、制度、経済、文化、思想、いろんなレベルでそれぞれ難しくって、しかもそれら全部がからみあっているんですね。生かすも死なすも非倫理的な感じとか、死は本人のものでも他人のものでもある感じとか、自由記述を読んでるだけでヘロヘロになりました。内容とは直接関係ありませんが、「本人の意思の不在」や「問うことと分けることと分かることと」についてもいろいろ考えさせられました。

この仕事をしてたのは随分と大昔のような気分ですが、納品のメールの送信日時を見てみると、2011年 3月 11日 00:47! 地震のちょうど14時間前でした。そういえばそうでした。この仕事が「終わった~!」つって椅子を京都に椅子を買いに行ってたんでした。311前の最後の仕事。

今年度もお手伝いさせていただけるということで、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。


2012年6月26日 この調査に関する記事があったので↓の引用を追記

 東京大死生学・応用倫理センター の会田薫子特任准教授(医療倫理学)によると、人工栄養は血管から点滴で注入するタイプと、管を使って胃腸に直接入れるタイプがある。管を使う場合はさらに、鼻から入れる「経鼻栄養」と、腹部に開けた小さな穴を介して胃に直接送り込む「胃ろう」に分けるのが一般的だ。
特に1979年に米国で始まった胃ろうは、局所麻酔による10分程度の処置で、確実に栄養が送れるようになるため世界的に導入が拡大。日本でも在宅介護の増加などで需要が高まり、2000年ごろから急速に普及しだした。
ただ、胃ろうを回復が見込める患者への一時的な処置とみなしている欧米と比べ、日本では脳卒中などの病気で意思疎通ができなくなった高齢患者らの延命に用いられる場合が多い。意識がないまま何年にもわたって介護を受ける生活が続くことがあり、会田さんは「人工栄養の継続が、患者本人や家族にとって本当に幸福かどうか疑わしいケースが出てきている」と指摘する。
会田さんが10年に日本老年医学会所属の医師を対象に実施したアンケートの結果は、人工栄養での延命に複雑な気持ちを抱える医療現場の姿を浮き彫りにした。
回答した約1600人の医師のうち、患者に人工栄養を施した経験があると答えたのは68%。その44%に当たる約460人が、いったん導入した人工栄養を中止した経験があると答えた。
中止理由を複数回答で尋ねると、最も多かったのは肺炎や下痢などで続けられなくなったとの答えだったが、患者家族が中止を強く望んだとした医師が約200人いた。また約100人は、医師として人工栄養が患者の苦痛を長引かせると判断したと答えた。
一方、人工栄養の中止は患者の死につながることから、 実施経験者の約30%は法的な問題への懸念を示した。マスコミに報道されて騒ぎになることを恐れると答えた医師も多く「現場の困惑と苦しみは深刻」(会田さん)だという。

共同通信 医療新世紀 2012.06.26

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