ACT全国研修浜松大会の協賛

去年の話だけど、第5回ACT全国研修浜松大会のお手伝いについて。始まりは2012年の夏頃かな、浜松大会を主催されたぴあクリニックのKさんとのメールのやりとりで、基調講演の講師を探している、というお話だった。いろいろやりとりがあった結果「島薗先生がいい!」という僕の希望がかなって、出演交渉のメールを書かせてもらったりしたものだ(それでスポンサーでもないけど協賛企業としてちゃっかり抄録集にも名前を載せてもらった)。

島薗先生は、僕が震災後の原発事故にまつわるいろいろなことに衝撃を受けまくり、「もう誰の言葉も信じられない」なんて気持ちになってた頃、「この人の言葉は大丈夫」と思わせてくれた数少ない大人の一人。最初は、面識もなければ講義を受けたことも本を読んだこともなく、一方的にツイートをフォローしているだけだったけど、Twitterで話しかけたら笑ってもらえて、その後、某シンポジウムの休憩時間に名刺交換させてもらって、本を読むようになって、という感じ徐々に知っていった、という先生だ。いわば、釣りバカ日誌のハマちゃんスーさん的に、Twitterという相手の素性も何もほとんど分からないフラットな場所で知り合って、実はいろんな経路でご縁のある先生だということ、そして実はすごい先生だということが後になって徐々に分かってきたという関係だ。

というわけで、メールのやり取りができるだけでも嬉しいことだったけど、実際に講演を引き受けていただいて、講演を聞けて、ランチもご一緒させてもらえて(緊張してしまって楽しめなかったけど)、一生忘れない経験をさせてもらった。本当にありがとうございます。

で、その講演の全文文字起こしがあるのだけど、これはACTネットワークの会員限定で公開ということなので、少しだけ引用させてもらおう。

 死の看取りのところで起こっていることは、実は医療とか対人援助とかと全体に関わることであるという風に思うんですね。上智大学の神学部に私は入っておりますが、上智大学には総合人間科学部にあって、ここは臨床心理学、社会福祉、看護、社会学などがあるわけですね。なぜそういう学部が大きく発展しているかというと、宗教系の大学だからこそ、人のお世話をする学部を大事にしたと思うんです。
 しかしいまや神学とこの対人援助の学がかなり切れてしまっているんですね。それをもっとこう、近づけるということが、必要なんじゃないだろうかと。私のような宗教学をしている人間がそういうところに入ったということはそういう意味があるんじゃないかと思っています。そして今度は対人援助の方たちは、臨床心理学とか社会福祉学というと、とりあえず宗教とかスピリチュアリティということとは独立したものとして考えておられるけれども、もう少しそういうところにやりとりができる必要があるんじゃないか。
 たとえば宗教者はそういうところに一定の役割を果たすことができるし、また看護の方などは、そういうことなどに大変深い関心を持っておられる方が多いですね。こういう風な動向、世界的にもそういう動向があり、日本ではこういう背景のもとに独自の展開をしている。
 スピリチュアリティというのをそんなに難しいこととして考えずに、おそらくみなさんが経験しておられることのなかには、先ほど新居先生も仰っておられましたが、元気が出てくることの中には何か私はスピリチュアリティといっていいようなものがあると思います。そういうことをぜひ、私どもにも刺激を与えていただけたらいいなと。精神科医療とか自死自殺の問題でもそうですし、在宅コミュニティケアという面でもそうですし、ますます交流が必要になっていると思います。

「宗教と対人援助の学が切れてしまっている」これはまさに、シロシベとお寺の仕事が全然繋がらなくて日々痛感させられていることだ。これらを近づけること、交流を作ること、それが僕の仕事なんだろうなぁ、と改めて思った。具体的にどうしていいか全然分からないのだけども…。というか、こういう仕事、ACTの大会で島薗先生の講演の実現に貢献する、ってまさにそういう仕事だ。これからも両方の世界に片足ずつ突っ込んでふらふらし続けてるといいんだろうな、と思う。

で、第6回ACT全国研修福岡大会の参加申込も受付が始まっています。今年の講演は、玄田有史先生の「希望の作り方」と西園昌久先生の「ACTと精神科医療-我が国の精神科医療改革の条件」。おぉ。

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